COLUMN #243 トム・ソーヤーのペンキ塗り

先日、メディアサーフのポッドキャストに呼んでいただき、堀江くんと話す機会があった。
その中で、13年前くらいに中目黒のMIDORI.soを始めた時のことを振り返り「壁のペンキ塗りしたの懐かしいねえ」という話をした。そこから、表参道の時も、永田町の時も、馬喰横山の時も、壁のペンキ塗りはいつも自分たちでやっていたという話に。業者に頼めば私たちは苦労せず終わる作業を、わざわざ自分たちの手で、何日もかけて塗っていた。
「あれ、黒崎さんのこだわりだったよね」と堀江くんと話した。一緒に手を動かすことで、そこにチームとしての仲間意識が生まれる。そういう狙いがあったんだよね、と。ここまでは、これまでも何度か振り返ってきた話だった。
でも今回話しながら、もうひとつ大事な意味を思い出した。トム・ソーヤーのペンキ塗りの話だ。
いたずらの罰として、トムは叔母から塀のペンキ塗りを命じられる。本当は嫌でたまらない仕事なのに、友達が通りかかると、トムはわざと楽しそうに塗ってみせる。「これは特別に許された、めったにできない仕事なんだ」と。すると友達は羨ましくなって、次々と「代わりにやらせてくれ」と頼み込み、しまいには果物やおもちゃを差し出してまで塗らせてもらおうとする。トムは一切手を汚さず、ただ「楽しそうにやる」だけで、面倒な仕事を誰もがやりたがる仕事へと変えてしまった。
マーク・トウェインはこの話で「仕事」と「遊び」の違いは行為そのものにあるのではなく、それをやらなければならないかどうか、つまり本人の受け取り方次第だと書いている。
私たちの壁のペンキ塗りも、まったく同じ構造だったんだと思う。業者に頼めば済む作業を、あえて自分たちの手でやることで、黒崎さんは「やらされる仕事」を「自分たちで選び取った仕事」に変換していた。しかも一人ではなく、みんなで手を動かすことで、そこに仲間意識まで生まれる。トム・ソーヤーの話は「人を騙して働かせる話」として読まれがちだけど、本質はもっと自分ごとの話だ。自分がどんな視座を持ち、どうコントロールするかによって、同じ作業がつまらない苦役にも、誇らしい仕事にもなる。
目の前の仕事がつまらなく見えるとき、それは仕事そのものの問題というより、自分がその仕事にどう向き合っているかの問題であることが多い。塀のペンキも、MIDORI.soの壁のペンキも、塗り方は変えられなくても、塗ることの意味は自分で選べる。
働くって、そういうことだよね。ほんとに。
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