COLUMN #240 対岸の音楽

「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」
19世紀のイギリスの思想家・美術批評家であるウォルター・ペイターが残した言葉だ。数年前、個人的なプロジェクトとして自分の好きなアーティストをインタビューしてはZineという形で発表していた頃、当時まだデビューしたてだったヒップホップグループDos Monosの荘子itから教えてもらった。
その約1年後、私は突然の思いつきからアートギャラリーで働き始めた。そして、絵画や立体作品など芸術作品に触れれば触れるほど、ウォルター・ペイターの言葉に同意した。
恐れずに言おう。いかなるストロークも、微細な色使いも、歪な形も、斬新な編集も、音楽ほどに心の奥底まで届く感動はない。
先日、AI事業イベントの開催者と話をしていたら「AIにユーザーのリクエストに応じた新しい音楽を作成させ、それを視聴した人が視聴回数に応じて料金を支払うサービス」が開始されるという。大きな音楽企業とも連携を進めているという。音楽業界がこれを機に再び大きく変化していくことは想像に難くない。
「AIが人間のクリエーションを超える壁は高い」という言葉もちらほら聞こえていたが、はたしてそうだろうか。NewsPicksの宇多田ヒカル×ユヴァル・ノア・ハラリの対談で、こんな話があった。この世にまだ存在しない作品を作るというのは、過去の制作物を分析し、何がまだ存在していないのかを解明すること。その隙間にハマるものを制作していくということなので、そういう意味ではAIだって人間同様に『新しい』作品を作れるはずだ、と。つい人間サイドにつきがちだった私にそのアッパーはよく効いた。その通りである。
しかし私が本当に気になっていたのは、「新しさ」ではない。AIの作る音楽は、私の喉を詰まらせるのか。電車の中で涙を堪えきれなくさせるのか。そんなことだった。
だから、慌てて反論した。
「で、でも、やっぱり人間のある種の不器用さから生まれる感情表現の組み込みはAIには無理でしょう?」すると、イベント開催者の別の言葉が横から体当たりしてくる。「別のサービスで電話のカスタマーサポートがあるんですけど、通話相手の感情の状態(怒り、困っている、悲しいなど)を抑揚から読み取り、それに合わせて対応を変えられるんです」と。
なるほど。じゃあ、それがAIの作品制作にも取り入れられたら?まだこの世に存在しない“隙間”を探すことも、感情への介入も、制作者として私たち人間はAIと同等に戦わなくてはならないのではないか(「戦う」という言葉を選んでしまう時点で、私はまだ果てしなく人間サイドに立っているのだ。)
対岸に立つAIたちよ。君たちの作る音楽が、いつかこの私のつま先から頭まで音の粒子でこの身を満たし、全身を震わせる時がくるのか。そして行き場をなくした体内の水がこぼれ落ち、この頬を濡らすのか。
自分は薄ら笑いしているつもりで鏡を見たら、心なしか顔が引きつっていた。
ただ、瞳だけは妙に輝いていた。
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