COLUMN #236 ありきたりな変化

今年のゴールデンウィークは、滋賀で過ごした。祖父に会うために毎年必ず訪れる場所ではあるが、知人がいるわけではない。滋賀は泊まるための拠点であり、一人で時間を過ごすときは京都へ出かけることが多かった。
京都は歩いていて楽しい街だ。様々な名所があるから飽きないし、夜は気になった酒場で一杯ひっかけて、酔い覚ましに鴨川沿いを歩くだけでも楽しい。一方、滋賀には琵琶湖以外あまり何もない。(もちろん、私が知らないだけなのだが。)
しかし、30歳を超えたあたりから、滋賀で過ごす時間が少しずつ増えてきた。理由は単純で、琵琶湖がとにかく気持ちいいからだ。ひらたく言えば、歳を重ねた私は、自然に癒やされるようになったのだと思う。実際、いつの間にか月よりも太陽を好み、ダンスよりもランニングを好むようになっている。自分でも驚くくらい月並みな変化だ。
この滞在中、湖を眺めながら感じた幸福が確かな実感としてそこにあった。月並みな感性だと思う。ありふれた感想だとも思う。それでも、心の底から自分がそう感じていることが否定できなかった。
ここ最近、この大都市で心から幸福だと感じる瞬間が少なかったかもしれない。何をするにしても、あらかじめ「こう感じるだろう」と予測してしまい、実際の経験より先に感情のほうを消費してしまうような感覚があった。楽しむ前から、楽しみを知ってしまっているような感覚と言えばよいだろうか。
そのような中で琵琶湖の前で感じた幸福は、久しぶりに素直なものだった。何か特別な出来事があったわけではない。ただ湖があり、風があり、日差しがあり、それを気持ちいいと感じている自分がいた。そこには先回りした感情ではなく、実感があった。
東京に帰る直前、この春から滋賀で医大生となった友人と再会した。33歳の彼にとっては、二度目のキャンパスライフだ。同期とのジェネレーションギャップを笑いながら話し、それでも医学の道を進んでいく彼は眩しかった。湖岸でビールを飲みながら、お互いのこれまでの歩みを話した。
私たちは変わった。彼の変化は、人生の進路を大きく切り替えるようなドラスティックな性質のものだ。一方、私の変化は、都市の刺激よりも自然の穏やかさを好むようになったという、どこにでもあるもの。それでも、どちらも変化であることに違いはない。その変化のなかに確かな実感があるなら、それは素敵なものだと私は思う。
MIDORI.so Newsletter: