COLUMN #219 Eating, Filling

ご飯を食べることが好きだ。でも同時に、面倒くさいと思う瞬間もある。腹が減っては戦はできぬ、というように、忙しい時や余裕のない時は、おにぎりを詰めたり、ゼリー飲料で済ませることもある。あまり褒められたものではないし、誰かに勧めたいとも思わない。ただ、それで助けられてきたのも事実だ。
もちろん毎食そうではなく、おおよその食事はちゃんと楽しい。ひとりで静かに店の空気を味わいたい日もあれば、大人数でわちゃわちゃ円卓を回したい夜もある。今日は何を作ろうかな、と妄想しながら空腹で帰宅する時間も嫌いじゃない。きっと人よりよく食べるし、いろんな場面の食事をそれなりに楽しめるタイプだと思う。
それなのに、ひとりになると、食事は急に「やらなきゃいけないこと」になる。美味しいものは好きなはずなのに、最短距離で腹を満たす選択をしてしまう。正反対の行動をとってしまうその矛盾が、ずっと不思議だった。
ある日、友人たちと「お店を選ぶ基準って何だろう」という話になった。味、価格、雰囲気。いくつも選択肢があるなかで、自分の中から出てきた答えは「誰と食べたいか」だった。このお店はこの人が好きそうだな、一緒に来たら楽しそうだな。気づけば店を選びながら、人の顔を思い浮かべている。(もちろん自分もその登場人物に含めて)
その流れで出てきた「腹を満たしたいのか、心を満たしたいのか。なんだろうね。」と言われたのが妙にしっくりきた。朝方のそばチェーン店で、濃すぎるくらいのつゆが身体に染みる瞬間も、薄暗い空間で楽しむワインも、老舗の大衆居酒屋で無音の中で煮込みの音に耳を澄ませる時間も、摘みたてのハーブの香りが充満するティータイムも、隣に座った知らない人と交わす会話も。どれも違うけれど、全部好きだ。
楽しい食事だけじゃない。悔し泣きをしながらひとりで掻きこんだ牛丼も、あれはちゃんと温かくて、美味しかった。MIRAI INSTITUTEに入る前にすこし疲れていたころ、MIDORI.so Nakameguroで食べたコミュニティオーガナイザーの手作りカレーは大盛りで、正直お腹がはち切れそうだった。でも円卓を囲み、腹を満たして、それぞれが黙々と仕事をしている光景に強い衝撃を受けたのを覚えている。
時が経った今では、お腹いっぱいにご飯を食べるし、飲めなかったビールも、コーヒーも飲む。そこにあるのは、単なる味わいの美味しさだけじゃなく、誰かと過ごした時間や、救われた記憶で上書きされた感覚なのだと思う。
悔しさも、辛さも、そしてもちろん楽しさも、その状況を共にする行為だ。
そうして満たされるのは、空腹だけではなく、心の方なのかもしれない。
腹を満たすご飯と、心を満たすご飯。そのあいだを行ったり来たりしながら、今日もまた、誰かと、あるいは自分自身と、何かを口に運んでいる。
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