COLUMN #195 何もしないをしに行く

2年ぶりに石川県小松市にある TAKIGAHARA Craft & Stay へ。
北陸旅行を計画していたとき「TAKIGAHARAに新しくサウナができたらしい」と聞いて、それならと少しだけ足を延ばしてみることにした。
この場所に来ると、いつも「ユートピア」という言葉が浮かぶ。コンクリートジャングルの放射熱と喧騒から離れて、風の音や虫の声、土や水のにおいに包まれる。それだけで、自分のリズムがゆっくりと整う。
最近、旅の仕方が変わってきた。小洒落たガイドブックやInstagramに載っている煌びやかな目的地をめぐるより「あの人がすすめてくれた場所」や「会いたい人がいる町」に向かうことが増えた。情報があふれる都会の暮らしも嫌いじゃない。けれど、「何か」を得ようとするあまり、少し疲れてしまうこともある。(夏のせいなのかもしれない)
滝ヶ原にいると「何か」しなくてもいいという感覚が溢れてくる。そこにあるものを、ただそのままに味わえるようになったのは、少しだけ大人になったということかもしれない。
答えや正解を求めて行動するだけでなく、立ち止まって、そこにあるものを感じることにも、豊かさを感じるようになった。その静けさがいまはとても心地いい。
東京でも「何もしない」ことの実践は可能なのか。
作業はどこででもできるし、PCを開けばすぐに仕事を始められる。でも画面に向かう時間よりも、今ここにある時間や状況を誰かと共有することの方が、きっと大切な瞬間になるはずだ。
たとえば、見知らぬ町を一緒に歩いてくれる友達がいること。
赤星の大瓶を、何も言わずに分け合えること。
初めて出会った人と和気あいあいと話ができること。
キッチンから、ごはんのいいにおいがふわりと漂ってくること。
そういう感覚は、余白がなければ見過ごしてしまうのかもしれない。「何もしない」は、けっして“無”ではない。その静かな時間から生まれる何かを、きちんと愉しめる大人でありたい。
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