COLUMN #174 “間”を発見し続ける

嫌いな食べ物は寿司だと、会う人会う人に言って回る友人がいた。えー、寿司が嫌いな人なんているんだ。珍しいね。いつもそのような反応を受け取っていた彼は、そのうち、“寿司が嫌いではないといけない人”と化した。北海道の居酒屋でピカピカと輝く握りを目にしても、頑張って抗っていた。食べられそうな気がするけど、食べたら、「寿司が嫌い」という強い印象を人に与える自分のアイデンティティを手放すことになってしまう、と彼は言った。
寿司嫌いであることを自分に課していた友人に、もっとあれこれ聞いてみればよかったな、と先日ふと思った。どんなところが苦手なのか、シャリなのかネタなのかその組み合わせなのか。お刺身はいけるんだろうか。卵とかハンバーグとかはどうなのかな。醤油とわさびにつけるのがダメだったりとかして。
何かラベルをつけることで、自分や相手を知る機会を逃してしまうのはよくあることだと思う。検索したら出てくる定義をそのまま当てはめてしまったり(血液型とかLGBTQ+とかADHDとか)、そんな人もいるんだね、と集団で一括りにしてしまったり。ひとりひとり違う人間なのに。気づけば、自分や相手のこれからを、そしてこの先出会う誰かとの関係性を、固定してしまう。
かくいうわたしも、自分にとあるラベルを貼り付け、たいへん長い間のっぺりしていた。そこで3年前から、“ものとわたしの間に起きることを発見する”練習を始めた。
座っていた場所はあたたかくなるし、ガラスのコップをさわれば指紋がつく。気になった場所には、レビューで判断せずに行ってみる。美術館で絵画の前に立ち、わたしは不気味だと後ずさりし、横にいる友人はずっと見ていたいと吸い寄せられていく。わたしの受け取っている不気味さはどこからやってきているのか、あれこれ話してみる。
周囲との関係性の中で 何かを受け取るたびに、わたしはたしかにここに存在しているんだな、と思った。ここにいるからこそ、見えるものがあるのだと。大学のゼミの先生がくれた、あなたは人類史上初の人間、という言葉も重なる。これまでもこれからも、そして今も、誰ひとりわたしと同じ人間はこの世にいない。骨格診断も、MBTIも、パーソナルカラーも、“女”に分類される身体も。わたしと組み合わさったら、この世にひとつのサンプルになる。それは人や場にも言えること。わたしとあなただから生まれる会話があるし、そこに集まる人々によって場の雰囲気は良くも悪くも変わる。
ラベルで縛り合うよりも、人類史上初の人間同士、お互いの発見を持ち寄って、お互いがちゃんと組み込まれる関係性に身を置いていたい。そのためにはきっと「わたしがせっかくここにいるんだから!」と思える健康的な自信が必要で、それはあらゆる物事との間に立ち現れるわたしを認識するところから始まるのかもしれない。
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