COLUMN #156 働くの間に

いつだって本当に面白いことは予期せぬところで生まれる。ミーティングを詰め込んで終えた1日の達成感より、何もしない日の方が満足感が高い。
ここ数ヶ月、仕事(作業)中ではないところでのほうが何かが生まれている気がしている。偶然の重なりが強い。(これまで篭りすぎていたのかもしれないが)ある時はアイスクリームを食べに出かけた店先で、ある時は誘われたお酒の席で。また、ある時は悩み事を聞いていたその延長で。いつどこで何が起こるかわからない。
何もしていない時間=生産性のない時間のように扱われることが世の中的には未だに多々あるだろう。それは数字や項目で挙げられない時間ではあるし、今でもちょっとだけ何もしていない時間に負い目を感じることもある。飲み会が続くと家族から怪訝な顔をされる父の姿が脳裏に浮かぶ。だけど大事にすべき時間だとようやく実感してきた。
目的のない時間は、着地点がない(そりゃそうだ)、誰にも左右されない。そんなアンコントローラブルな時間はお互いの立場や状況を置いておいて話すからこそ楽しめた時に分かり合える気がする。何が起こるかわからないからこそオープンになれるのかもしれない。
最近インドネシアのノンクロン(nongkrong)という文化を知った。だらだらと友人とおしゃべりしたり、お酒を飲み交わす文化だ。もう少し何もしなくてもふらっと集まれる場所が増えたらいいのに。と思うが、もともとあったけれども商業化が進みすぎて無くなったのかもしれない。
話が変わって、3~4ヶ月ほど前に「働く」とは?について問われたことがある。その時に答えは出ず、その前段の「仕事」は好きだけど「労働」は好きじゃない。という途中までの展開だった。1人称・2人称で考えていたが、その間にある「作用」の話なのかも。とこれを書きながら思い出した。誰かの働きが、別の誰かによって生まれる。超抽象的な話だが、それこそが「働く」なのでは?
今日は金曜日。手元の作業は置いておいて、誰かとノンクロンするとそれは新しい「働く」につながるかもしれない。
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