COLUMN #148 MIDORI.soが「みどり荘」ではない理由

MIDORI.soを「みどり荘」と表記してはいけないよ、と言われます。その理由について最近気づいたことがあります。
赤木昭三・赤木富美子『サロンの思想史』によると、サロンの原点は、17世紀フランス、女主人が主宰する優雅で洗練された社交の場でした。デカルト思想、新科学、啓蒙思想、フェミニズムなど、新しい思想の創出・交流・伝播を担う重要なメディアにして公共的空間でもありました。それは会話を最も重要なコミュニケーションの手段とした、拘束力を持たない、緩やかな結びつきであったことからも、MIDORI.soに相通ずるものがあります。
「トキワ荘」は1950年代〜1980年代、寝食をともにしながら、漫画家が働き暮らすアパートでした。藤子不二雄の二人の母親もトキワ荘にやってきて、他の漫画家たちも含めて面倒をみていたとのことでした。アシスタントを共有したり、仕事を分け合いながらともに働いていたといいます。トキワ荘はMIDORI.soの名前の由来になっているとも言われています。
どちらもMIDORI.soとの共通点は多々あるのですが、他方でMIDORI.so =「SALONE(サロン)」か?と言われると、それよりはもっとみんなが相互に影響し合い、暮らしをともにしている気がするし、MIDORI.so = 「荘(アパート)」か?と言われると「寝」まではともにしていないと思います。
MIDORI.soとは「SALONE(サロン)」でも「荘(アパート)」でもない。なので「WeWork」のような全文英語表現の名前でも、「みどり荘」のような全て日本語表記の名前でもない。「SALONE(サロン)」と表現されるような公共的なコミュニケーション様式と、「荘(アパート)」と表現されるような互助的なコミュニケーション様式、それらが融合し新たに生成された空間を指す表現として「MIDORI.so」という名前が存在する。このことに気づきました。
未来の多様性を創造していくにあたって必要なのは、「SALONE(サロン)」でも「荘(アパート)」でもなく、そして「オフィス」「コワーキング」でもないのだと思います。それには、これまでの踏襲ではなく、いくつもの文化の流れから融合し生まれた新しい場であることが不可欠だと思っています。
MIDORI.soが「みどり荘」ではない理由、それは問い続けなければいけないものであり、その価値をこれからも探究していきます。
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