COLUMN #144 Personal Landmark

もう随分前のことだが、いわゆる街の目印や象徴のような一般的な「Landmark」に対して、個人的な感情が伴うものや個人的に意味があるものを「Personal Landmark」と勝手に命名したことがある。当時はイギリスに住んでいたのだが、なぜか気になってしまう街のある場所、見ると心が落ち着いたり、誰かや出来事を思い浮かべることのできる、ある景色や建物(何なら木だったり音だったり匂いだったり人だったり)、そういったものがたくさんあり、私はその街にとても愛着があった。そんな場所を何と言い表したら良いのか悶々と悩んだ挙句、出てきたのがPersonal Landmarkという言葉だった。(ちなみにこれは修士論文&修了製作のテーマにした。)街がそうした個人的な感情を伴う場所や建物やものの集まりのレイヤーでできていると考えたら、何だかとても素敵だし、街を見る目や関わり方が変わるんじゃないか、と勝手に思っていた。今思えば、名前をつけることでその存在が確かにあるということ、そして、それぞれが感じるPersonal Landmarkを他者と共有したかったのだと思う。
その後帰国し何年も経ち、今住んでいる街で、私は最近までそれを見つけることができていなかった。当然愛着もあまりなかった。生まれ育った街や大学時代に住んだ街、帰国後すぐに住んだ街にはいくつも頭に浮かぶのに(当時は言語化できていなかったが)。一体どういう訳だろうか。。。1つ思いつくのは、この街には自分で選んで住み始めたわけではないということ。(まあ、生まれ育った街も自分で選んだわけではないが。)そもそも能動的に関わろうという意思があまり無かった。街歩きは好きな方だと思っていたけれど、周りには全然足が向かずほぼ素通りで、物理的には近いのにどこか自分とは遠いものに感じていた。
それが変化したきっかけは、子どもとコロナとここで過ごした時間の積み重ねだったと思う。彼にとっては生まれ育っている街なわけで、公園や保育園への道や八百屋さんの中にお気に入りの場所を見つけていっている様子だったし、コロナの自粛生活のおかげで今までの自転車や電車のスピードから歩くスピードで街を見ることになった。そして住み始めて3年くらい経ったある日、子どもと手を繋ぎながら最寄り駅を降り、ふと顔を上げて目に入ってきた踏切と道路、その何でもない、いつもの風景に「(家に)帰ってきたなあ」となんだか心があたたかくなるのを感じた。その風景は私にとってこの街の1つ目のPersonal Landmarkになった。
きっと、人や、その人の状態・状況によって、その存在にすぐに気づくこともあれば中々気づかないこともあるし、むしろそんなもの感じないという人もいると思う。ただ、自分はその存在によって自分と街や場所を結びつけることができる気がしている。帰属意識とまではいかないけれど、緩やかに繋がって、それが愛着に繋がっていくのかなとぼんやり思いながら、今度はそもそも愛着って何だろう?という新たな疑問が湧いている。
というわけで、あなたにはPersonal Landmarkはありますか?
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