COLUMN #136 気が合うとか合わないとか

オトナになって友だちになった人がいます。彼らのおかげで、自分の人生が豊かになっていることにとても感謝しています。彼らとのつながりは、単純に好感が持てたり、やっていることに共感する、好きなものが似ている、共通の友人がいる、似ている思考がある、など様々な要素があります。
出会ってすぐに話が盛り上がったり、語り合うことができる人がいます。付き合いの長さに関わらず、このような体験をすると不思議な感覚に陥ることがあります。
これは、シンパシーとエンパシーによるものだと思います。シンパシーとは、他人の感情に同情し、同じように感じること。エンパシーとは、他人の感情や立場を理解し、共感することができる能力です。これらの気持ちや能力がパチッとあうと、会話が盛り上がり、いつ出会ったかさえ分からなくなるのです。
エンパシーについては、イギリスのことわざ「他人の靴を履く」という表現があります。その意味を説明した書籍『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』が分かりやすくておすすめです。
そして、この人と仲良くなれそうという嗅覚は、年々鋭くなります。これは、失敗も含めて自分の経験から得たものであり、尊いデータ蓄積です。このデータは他の誰にも蓄積することはできず、自分自身の気持ちを理解する上でも貴重です。
私は、長い間自分の気持ちが理解できませんでした。幼少期には、親の心配する気持ちに自己主張が上回ることはなかったからです。自分が好きな洋服を選ぶと「それはあなたに似合わないわ。」と言われたり、友だちと遊ぶ時には「あの子と遊ぶのは心配だから、こちらの子と遊んだら?」と言われたり。進学についても、親が導いてくれました。今、自分が親になったことで、当時の親の気持ちが理解できるようになりました。
しかし、私は自分の子供たちには、まず自分の気持ちを知って自己主張して欲しいと願っています。先日、こんなことがありました。
学校帰り、娘が一緒によく遊んでいるお友だちがいました。私はその子のことが好きではありませんでした。理由は、言葉遣いと譲らない精神です。娘が楽しいのかどうか、心配でした。
でも、私の気持ちは本人に関係ありません。何かあっても、彼女自身が感じて、考えて、処世術を身につけていくのです。困ったことや嫌なことがあったとしても、本人が話してくれたら、ちゃんと聞こう。気が合うかどうか、そういう気持ちは、本人しか育てられないものです。グッと我慢しました。
程なくして、彼女が友だちに対して感じる疑問や違和感を話すようになり、1、2ヶ月後に別の子と遊ぶようになりました。見守る時間は、歯痒くて辛かったですが、彼女が自分の気持ちを知って優先させたのだと安心し、彼女の体験のデータが蓄積されたことに喜びを感じました。
MIDORI.soには、いろんな物語を持ったコミュニティオーガナイザーが働いています。同僚ながら素晴らしい方ばかりです。それぞれが、シンパシーやエンパシーに長けています。皆さんも、ぜひ気の合うコミュニティオーガナイザーを見つけて、コミュニティがどんどん広がることを願っています。
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