COLUMN #119 Pray and Act

日本で、世界で、自分にはどうすることも出来ないことが起こっている中で、一体どうやって生きていったら良いのだろうと、ここ最近深い絶望感を持っていました。もやもやとした気持ちを抱えつつも、何もアクションする気持ちになれないまま立ち尽くす日々。
これまでそれなりに平和に育ってきた私は、学生を卒業するまで、個人をいかに深く見つめられるかということに注意を向けることができたので、社会の出来事への関心が強くなってきたのはほんのここ数年の話。自分の人格形成に、社会的要素が強く影響していることに気がつきもしなかったのです。大学一年生の時、環境問題に取り組むボランティアに3ヶ月だけ入ったものの、問題そのものについてではなく、その活動をしている自分たちが盛り上がっているような印象を受けて辞めてしまった結果、環境問題や貧困問題に取り組んでいる人たちは、みんなきっと偽善だという不信感すら持つようになってしまっていました。
でも、学生を卒業して社会といかに接続できるかを考え始めるようになって気がついたのは、どんな問題も1人の声から始まるのだということです。そして、私はその個人が持つ声にこそ関心があるのだということ。この間、初めてデモに参加して、現地にルーツのある人と直接話をしました。彼の眼差しは真っ直ぐな心の叫びと、世界平和への祈り。ああ、この人はどんな想いで今ここにいるのだろうか。自分が、その問題や出来事に対して主体者になれないということへの引け目を強く感じながらも、主体者になれない主体者として、その物事への自分なりのアクションとリアクションをしていかなければと、また、そうすることで自分の輪郭を確かめているような感覚にもなりました。社会と個人はそうやってちゃんと繋がっている。社会を知ることは、他者を知ることで、他者を知ることは自分を知ることなんだと。
マザー・テレサが、少年に「世界平和のために、私は何をしたら良いですか」と尋ねられた時、『家に帰って、家族を愛しなさい』と答えたのは有名は話ですが、今自分はどう立ち回るべきなのか、全てに寄り添うことも、立ち向かうこともできないけれど、それでも、自分の命に今があって、その命を全うしながら生きていくことが、自分にできる唯一の祈りと行動であると信じ、今日も生きていきたいと思います。
MIDORI.so Newsletter: