COLUMN #113 エジプトの家

コミュニティオーガナイザーとして、週に2〜3回設計会社へ通っています。日本では1番大きく、世界では2番目にシェアの大きな企業です。東京本社ビルが飯田橋にあり社員数は約2,000人程います。私は大企業に就職したことがないので企業に身を置くことに緊張がありました。スーツを着た奴隷なんていう、当初思ってきたイメージはすぐになくなり、大きな組織でも一人一人が自分の仕事に情熱を持って働いていることが分かりました。設計図とか梁だとか素材だとか建築にまつわる細かい技術や知識の蓄積があるせいか生真面目な変人が多いのも事実です。いい意味です。また建築という響きだけを聞くと派手ですが、コツコツと小さいことの積み重ねによってしか完成し得ないものなんだなと、社員の方々の話を聞いていて思います。
大きな会社なので、人数も多ければ個性や国籍も様々です。その中にはスーダン出身の設計者がいます。週明けの月曜日「週末はどうだった?」よくある会話から始まりました。家族が来てたから忙しかったよ。(その時、彼に奥さんと子供がいることを知りました) 今回家族は観光で来てるの?どのくらい滞在するの?私は立て続けに質問をしました。いや、しばらくこっちにいるかな、と彼は答えました。彼の奥さんは、日本のアパートメントは狭いって言ってるから少しストレスみたいだと、彼は言いました。。私は、スーダンの家は広いのかと聞きました。母国には俺がデザインした四〇〇平米の庭付きの家があるよ、彼はそう言いました。めちゃ広いね、早く帰りたいでしょう、私はそう言いました。いやもう帰らないと思う、戦争がやばいから。
「自分でデザインした広い家に早く帰りたい」何故だかそう言う答えが普通に返ってくると思っていました。同時に早く帰りたいでしょ、と言った自分、家族が観光で来てるのかと聞いた自分を恥ずかしく思いました。彼の家族は来日したけれど、それは観光ではなかった。国から逃げないといけないから故郷を出た。日本に移住することを決め移民としてここで生きていくことを決めた。彼らの背景を知らなかったが為に彼が言いたくなかったことを言わせてしまったかもしれないと思いました。その時は大変だねの一言だけしか返すことが出来ず心の隅にしこりが残りました。
昨今のイスラエル・ガザの衝突、ウクライナ侵攻、スーダンの内戦、気づくと世の中は争いが絶えず続いています。こうやって何かを書いている時でさえも誰かが生まれては死んでいる。認識すれば当たり前のことなのかもしれませんが、やはり本当にそれが起きている実感がないと言うのが正直なところです。
映画や小説で物語を読むことはできるしインターネットで沢山の情報を探すこともできる世の中ですが、育ってきた土地の景色がなくなり自分の国に住めなくなる、その経験や体験は検索しても分からないことです。もしそう言う時が来たのなら私たちは何を思うのでしょう。
簡単に何かを得ることができる現代に何を自分に蓄積し、どのようなリアルな体験をしていくか、それが益々重要になってくると思います。そして「知らない」で終わらせず、できる事をとりあえずやってみる。例えそれがどんなに小さなことでも積み重ねてみるというこだと改めて思いました。
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