COLUMN #11 hungry minded

「ランチできたからみんなでたべよう」
キッチンでランチができあがると、コミニティオーガナイザー(CO)がメンバー1人1人に声をかけにいく。MIDORI.soではいつもの景色だが、メンバーになったばかりのときは驚いた。シェアオフィスと聞いて、それは家賃や設備をシェアする空間だと思っていた。友達じゃない、家族でもない、同僚でもない人とランチを一緒にするという、時間のシェア。一番最初に参加したランチ会は特に印象的で、自分の職業は「いろいろやっていて説明できません」という人ばかりで結局のところ何をやっている人なんだと心の中でツッコミをいれた記憶が今でもある。
ただそんな驚きとは裏腹に、メンバーと話をしていると、なぜ自分はここにいるのかという問いや、今まで興味もなかったことが、自分の世界に入り込んでくる。そういえば、この間は「締め切りがない仕事を模索している」と言っていたメンバーもいた。締め切りに追われまくっていた私にとってはそんな仕事あるのかと、震天動地、脳天直撃である。(現にこのコラムもまさしく締め切りをとっくにすぎていて、焦燥感と戦っている)
そうした知覚の広がりは、新たな自分への気付きとなり、時には今まで自分をしばっていた思い込みをスパッと外してくれた。この「自分のバイアス外し」は気持ちいいし中毒性がある。どうしてもこの感覚を忘れたくなくて、自分がフリーランスになるタイミングで、MIDORI.soのCOになって関わり続けることをきめた。メンバーから運営側になってみて、箱の中にいくら人を詰め込んでも、そこに関係性は生まれないのだということに改めて気がついた。隣に人を並べても、現代人はスマートフォンやPCの先にいる人たちとの交流の方が圧倒的に盛んなのだ。
MIDORI.soが提唱する、個人と個人がゆるくつながった「良質なカオス」を展開していくと、実はこの「ランチできたからみんなでたべよう」につながるのではないか。オンラインが苦手な「ごちゃまぜ」の状態が、この一言によって簡単に実現できる。そう考えるとこの言葉の先に、帰る時にメンバー同士がお疲れ様と言い合ったり、時には一緒にプロジェクトをするという景色があるのかもしれない。ひいては私のようにうっかりCOになる人まででてきてしまう、そんな不思議な言葉なのである。
最後にーコロナ禍で集うことに対して集める方も集まる方も少し臆病になってしまった。たくさん気をつけなければいけないこともある。細心の注意を払ってくれるケータラーさん達には毎回感謝しかない。1日でも早く「ランチできたからみんなでたべよう」と、大きな声で言える日を心待ちにしている。
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