COLUMN #28 about love

Topic: ColumnWritten by Naohiro Kiyota
2022/2/11
#28 about love

愛の仕事

中目黒のMIDORI .soから渋谷駅方面に向かう道の途中、道玄坂交番を左に曲がり路地に入って行くと、円山町のラブホテル街があります。僕は2006年頃、渋谷区円山町といういわゆるラブホテル街でアルバイトをしていました。お客さんたちが出て行った後の部屋のシーツを替えたりコンドームをセッティングしたりする仕事です。他にはお風呂掃除担当のおじさん、若い頃は夜のお仕事でブイブイ言わしてたであろうおばさまなどで、おじさんにはよく龍盛菜館という中華料理屋さんでランチを奢ってもらいました。

割と時給が良かったのも理由の一つですが、当時は大学でデザインの勉強をしており、修士論文のテーマだった「愛のデザイン」に関するフィールドリサーチと称して、ホテル街で働く人たちにいろんな話を聞いていました。その中で当時ホテル組合の相談役をしていたホテル街を作ったというお爺さんから話を聞くことができました。満洲帰りで元関東軍だったそのお爺さんが経営する旅館は料亭の名残のある純和風建築で、客室の中には池があって赤い橋が架けられていました。

戦前戦中の円山町界隈は料亭街として当時代々木公園周辺にあった陸軍の将校さんなどが集まる場所でしたが、戦後はそこが旅館街(連れ込み宿)になっていったそうです。なぜそのような宿が必要になったかというと、戦後日本が復興するには人が必要だ、人口を増やさなければならない、子供を作る場所が必要だ、ということが理由であったと。そして全国的にラブホテルが増えて、ベビーブームが起きて、日本は高度経済成長を迎えていったわけです。

恋は下心、愛は真心とよく言われますが、恋愛という言葉は明治以降にLOVEという英語の訳語として生まれたようで、ラブホテルの「LOVE」の中には恋も愛も含まれている気がします。決してエロだけではないのです。少なくともラブホテルという場所は戦争を生き延びた人々の愛国心から生まれたわけです。チョコレート商戦で沸く渋谷の街の奥に、そのような場所があることを知っていただければ幸いです。

先日久しぶりに円山町を歩いたのですが、お爺さんの旅館はもうありませんでした。

清田直博|Naohiro Kyota
福岡県生まれ。ライター、エディター、デザインディレクター、クリエイティブディレクター、自転車生活アドバイザー、Night Pedal Cruising 初代リーダー、MIDORI.soスターティングメンバー。編著に『We Work HERE 東京のあたらしい働き方100』や『NEXT WISDOM CONSTELLATIONS 2014-2018 叡智探求の軌跡』など。一般社団法人アナドロマス、第二種兼業農家。

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