COLUMN #23 new beginning

2022年のお正月にあたり、色々考えてやり始めます。 新年といっても、何も変わらないじゃ無いかという風に考えることもありますが、折角だから、新しい気持ちを思い切り引っ張って、素直に新しくやることを書いてみようと思います。 明けましておめでとうという言葉自体をどう捉えるかはありますが、ここは素直に新しい気持ちを発揮して、去年までのことは水に流して、新年明けましておめでとう。と言いたいと思います。
昨年は、いやこの年は人類の歴史にとって初めての経験が沢山ありました。 まずは、世界中で初めて今までの歴史上になかった、コロナウイルスのために旅行が制約されました。今までも疫病はありましたが、飛行機やすべての交通機関を通して、より早く、より遠くに旅をすることが大きな目的になってきたことを真っ向から否定された経験は初めてだと思います。 僕もここ10年以上、毎年20回以上世界を旅しながら生きてきて、なんとなくいいことをしていると言う思いでした。しかしながら去年は初めて海外に行く事もなく、国内にいると、それはそれでいいものだと思えるようになりました。これはこれでそう言うものと思えば、それでいいと言うようなものです。
大震災の時も津波で流された海沿いの街に真っ先にいってみて、今までの我々の文明の発展の方向を考え直すチャンスかと思ったのですが、また元に戻すのがいいような価値観で、また津波が来てもいいと言うような堤防を大金を使って作ると言う全く僕の考え方と逆の方向に世の中が向かうのを見るにつけガッカリしたり残念だったり、自分の歴史観に対して、真っ向から否定されたように思ったものでした。
今回のコロナウイルスのために旅行が制約されたことは、人類が移動を制約される経験を受け止め、ちょっと待てよ、今までのままではいけない事もあるのではないか?と考えてしまうのが僕の思考方法です。このことをどう受け止めてどう解釈して次につなげるか?そこが僕にとっては肝になってきます。
ちょっと待てよ、現在、地球上は人類が増え過ぎて、人間の欲望のままに酸素を使い、二酸化炭素を排出して、自然を破壊して、あまり賢いとは言えない行動のために、気温が上がり、汚染され人類が生存する事もままならないようになって来ている。ここは賢明にも、欲望を抑えるところは抑えて、文明の発展の方向も考え直して、人類存続を目指して、もしも人類が賢明な生物だとしたら、色々考えてやっていかなければいけないのでは無いか?と思うことが現実のものとなって来たと思います。
また現在の世界中で愚かな戦争が起こっているのも、本来、幸せを我々にもたらすはずの宗教が機能しなくなってきたということです。そこで日本の神道のように緩く自然崇拝を入れ、すべての木々に神が宿るといった一神教では無い神様の概念を交えながら宗教を考え直してみることが大切かと思います。ギリシャ神話にはいたずらな神様も登場するように、日本の神様も常に正しいとは限らないといった大きなゆるさが大切だと思います。ここは西洋や砂漠の中での宗教は戦うしか無いが、水に流して、と言う日本の文化が生かされて来ると思います。日本人のもつ、自然観、宗教観、人生観が今ほど必要になって来ることは無いと思います。
僕の一族は、明治の時代にフランスに留学してフランス陸軍のシステムを学んだり、火薬を開発したり、航空力学を学んで飛行機を作ったり、大叔父などはドイツやスタンフォードなどに東大出てからいったり、まあ気違いじみた武士の末裔だったようですが、僕はロックに影響され物理と哲学をかじったヒッピー少年だったようなもので、60年代から世界中を旅してきました。
その人生観からして、今回の世界の状況を見るにつけ、人間の歩みを考え直すいい機会だと思っています。資本主義経済を考え直し、宗教観を考え直し、文明を考え直し、文化を作っていくことをやっていきたい。今までは、大学を出てから骨董をやったり、家具やデザインに凝ったり、アートや生活の探求を考えたり、学びや生き方や働き方を考えたりしてきました。そして農的な働き方や生き方を考えました。
僕が高校生の頃は世界の人口は30億人くらいだったのが、今は70億になり、もうじき100億人に届くと言う状況です。人類もまるで異常に増殖したバッタの大群のように増えつづける中、高齢化が進んでいます。そこで日本人は今までの貧しい生活を、大多数の人が生活に困らないくらいに豊かになり、みんな中産階級に所属して、自分の家を持ち、より安全に生活するという方向の価値観に向かって来ました。
しかしその次に来るものに目的や努力目標が見つからずに来ているのが現状では無いか?僕はより美しく生きたり、美を求めたり、趣味性を追求したり、音楽や植物に興味があります。しかし高くを求めないで、現状に満足すると言う方向の価値観になり、行き詰まり感が出てきていると言うのが現状僕が感じていることです。経済的な目標や大きな欲望や目的を見つけることが難しく、教育もすべて満足して小市民的に暮らしていく等に仕向けているようです。
そこで今後は、欲望というより希望を求めたり、対立することや競争することから一緒に協力していうことに喜びを見つけたり、戦争するより仲良くすることを目的にして、量的な増加より質的な上昇に目的を向けていくことに転換して行くことが大切です。その役割を今までは宗教が担って来ましたが、これからは自然に学ぶことがが大切になって来ます。宗教から転じて大自然の叡智から学んでいく。というように文化人類学的にも、アマゾンやアフリカやアジアの人々から学んでいくことが大切です。それも素早く学び、手際よく修正していかないと間に合わないというところに来ています。
新年こうして考えると、前途洋洋、大活躍していかないといけませんね。大きく胸いっぱい息をしてやらないといけません。
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